妖怪に用かい?

tervetuloa !

一期一会

「一期一会」お茶をやる人が結構目に付くドイツでは人気の禅語。

ということで、私も何度か書道のテーマにしていた。

ドイツでの書には絶対に訳が要る。

絵に近い芸術表現としてより言葉の内容の方がドイツ人には重要らしい。

しかし、この「一期一会」もなかなかすっきりしたドイツ語にならない。

下手に捻らず、"ein mal, ein Treffen" と文字通りの訳でNetには出してある。

しかし、実はこれではこの言葉の深さが伝わらない。

機会があればその深さの説明を加えることにしているが、

 

私自身禅の世界に関してはほとんど謎といえる。

ただ、常に地震の危険と隣り合わせで生きている日本人は、禅の本質のようなものは言葉で説明はできずともすでに知っている気がする。

 

昨日の日本語レッスンの中にこの「一期一会」が出てきた。

ひらがな、カタカナはすべて、漢字もかなり読めるようになったAさんは

「一期一会という言葉を知っていますか。」という文をかなりすらすら音読した。

意味はというところで、"Etwas mit Erdbere zu tun?" と、ちょうどいまドイツでシーズンの赤いイチゴと関係があるかな、というわけだ。

もしかして、これはおやじギャグにもなるかな、と一瞬考えもしたがそれは置いておき、書道で何度か登場したこの言葉の意味の説明を始めた。

 

この「一期一会」文字通り訳せば、"ein mal, ein Treffen" 。これはお茶の禅語として最もポピュラーなもの。お茶文化は実は戦国時代の侍の間で発展したもの。

三畳ぐらいの小さな部屋に亭主とお客だけでお茶を飲み言葉を交わす。

この三畳の中は外の世界とは隔離された全く別のユニバースということで

呼ばれる客は時に下層の百姓だったり敵陣の人物だったりもする。

この中では上も下も敵も味方もない。あるのはここにいる亭主と客のみ。

まったく平等なレベルで単に会話をする。

亭主と客の二人はこの時、この場所では一緒にお茶を飲み会話をすることができるが、この瞬間は二度と巡ってはこない。

生きているものである限りいつか皆死ぬ。

その死は明日かもしれない、この茶室を出てすぐかもしれない、亭主と客はまた顔を合わせられるとは限らない。

今、ここで、楽しく会話を交わした侍仲間も、明日は戦場で倒れるかもしれない。

今、ここで、招待された茶室の客でも、明日は戦場で敵同士として殺しあったりもする。

私もあなたも生き物なのだから、今健康でもいつか必ず死が来る。明日どちらかが死んでしまうこともないとは言えない。今二人が一緒にいるこの瞬間はもう二度と巡って来ない!だから、今のこの瞬間を100パーセント認識し味わうのだと、この「一期一会」は語っている、と。

 

ichigoichie.jpg

 

 

この説明には実は実は大いに私情が入っているのだ💦

 

ドイツの真夏の午後、Sekt(スパークリングワイン)のジュース割りを飲みながら、Aさんと久々深いお話となった。

 

Aさんとこうやって楽しくすごせるのはあとどれぐらいなのだろう、、とイチゴを食べながら「一期一会」を考えた、なんつって(^▽^)/。